2012年06月03日

宇宙戦艦ヤマトの魅力、追伸 ~その絵柄のごときデリケートさ~

宇宙戦ヤマトの魅力について、前記事において個人的に思うところを述べた藤堂おじさんですが、

これに付け加えるとしたたら、


宇宙戦ヤマトならではの、美しい絵柄


宇宙戦艦ヤマトの魅力、追伸 ~その絵柄のごときデリケートさ~


↑これをバックに、無限に広がる大宇宙のスキャットなんぞやられたら、おじさん、もうたまりません(涙;;

おじさんの思いに賛成いただける諸氏、上の絵を即クリックですぞぉ~


はてさて、

ヤマトの絵柄といえば、ある意味、前記事で挙げた登場キャラクターとかぶる部分が多いですが、おじさん、今度は別の切り口から考えてみたい。

宇宙戦艦ヤマトの魅力、追伸 ~その絵柄のごときデリケートさ~
↑ 当然のごとく、旧作のヤマトの絵柄は松本零士先生の色が顕著


前に言ったように宇宙戦艦ヤマトの楽曲面は、宮川泰さんのサウンドそのものであるように、宇宙戦艦ヤマトのビジュアル面は、元来、松本零士氏の色彩が濃厚だった。

いや、最近の復活編や2199にも、その影響ははっきり認められるとおじさんは思う。

・・・確かに裁判に発展した著作権騒動(1999年~2003年)もあった。そして松本零士氏には宇宙戦艦ヤマトの著作権はないという取決めもなされはした。そして、それを受けて、判決後に作られたヤマトシリーズでは、松本さんならではのまつ毛の長い女性を描かないなどいずれも松本アニメ的なタッチを意図的に払拭する絵柄が採用されているのも確かな事実である。


宇宙戦艦ヤマトの魅力、追伸 ~その絵柄のごときデリケートさ~宇宙戦艦ヤマトの魅力、追伸 ~その絵柄のごときデリケートさ~
↑古代進。左が旧作(ヤマト完結編、1983年)で、右が今年劇場公開中のヤマト2199

ヤマト側のキーパーソンの一人、古代進だが、一目瞭然。何の説明もなければ、別人物だと認識しようと思えばできる。絵のタッチに注目すれば、ヤマト2199の古代進はもはや松本キャラの絵柄ではないというのは確かに正しい。
ただ、ここで動かない事実を述べると、”古代進”というキャラクターを旧作ヤマト作成当時に考え出したのは松本零士氏であるということ。同じことは、沖田十三にも島大介にも森雪にも当てはまる。デスラー総統の名前も、松本さんがデス(死、death)とラー(太陽)を組み合わせて考案したものです。
もっとも、西崎総監督の旗振りの下でキャラクターデザインの主担当者として行った仕事だからということで、例の裁判では、ヤマトの登場人物を直接生み出したのは松本さんだろうが、それを責任者として逐一、指揮していたのは西崎総監督だからヤマトの権利(著作権)は一担当者ではなく責任者にあるよね、ということになっている、簡単に言えば。
さらにストーリーの構成は松本さんよりも西崎総監督の考案が基軸なのは事実なので、それも加味すれば、宇宙戦艦ヤマトシリーズ全般の権利者はやはり西崎総監督だということになってしまう。

・・・というように、法理論上は宇宙戦艦ヤマトは故西崎総監督のものであると明確に前置きした上で、登場キャラクターの絵柄そのもののお話に戻りたい。

以前、ここで何度かにわたって、旧作とヤマト2199(一部、復活編も)のキャラクターの絵柄を比較したので、再度引用しましょうぞ。

宇宙戦艦ヤマト2199のこと(2012年01月25日)
デスラー総統とスターシア from YAMATO2199(2012年02月19日)
ヤマト2199のキャラクター ~佐渡先生、アナライザー、ミーくん~(2012年02月27日)


上で紹介した、古代進の例と同じように、どのキャラクターも、タッチは松本先生が描いていたころと明らかに違う。古代進を例に別人物と認識できると書いた後で、真逆のことを言うことになるが、名前が同じの全くの別キャラに置き換わったわけではなく、いずれもビジュアル的に対応がつく。

宇宙戦艦ヤマトの魅力、追伸 ~その絵柄のごときデリケートさ~宇宙戦艦ヤマトの魅力、追伸 ~その絵柄のごときデリケートさ~宇宙戦艦ヤマトの魅力、追伸 ~その絵柄のごときデリケートさ~
↑新旧ヤマトのヒロイン。宇宙戦艦ヤマトのヒロインにとって最も大事なのは、内面から醸し出す神秘的な雰囲気かもしれませぬ


名前が同じだけでなく、旧作にも登場し2199でもリメイクされたキャラクターはいずれも旧作のころの面影や雰囲気をしっかりと受け継いでいる、はっきり言って

いきなり結論をデカデカと赤書きしたが、それは結局のところ、ヤマト著作権の問題等で登場キャラクターから松本色を排除したつもりが、実のところそんなことはないということですな。しかも、”古代進”とか“デスラー”とか旧作そのままの名前を使っている時点で、松本さんが生み出したモノ(西崎総監督の指揮下でという保留付だが)を再利用しているということになりますぞ。

あくまで旧作ヤマトの精神を未来に伝えていくためにヤマト2199を作るのだから、修繕やより面白くするための追加は施しても基本的な設定を変えるつもりはないし変えてはいけない 
by 出渕監督



これは、今回ヤマト2199をリメイクした出渕監督が、ヤマト2199第1章の劇場パンフレットやTVBROSヤマト特集、その他諸々の媒体で、繰り返し述べているところ。確かに、主要な登場人物を変更したり、宇宙戦艦ヤマトのフォルムを変更してしまったり、敵方をガミラスから別物にしてしまったりしてしまってはもはや宇宙戦艦ヤマトではなくなりますからのぅ。

宇宙戦艦ヤマトの魅力、追伸 ~その絵柄のごときデリケートさ~
↑ヤマト2199の沖田艦長。オープニングに登場するこの絵柄に至っては、松本零士さんが全く関与していないはずなのに強烈に松本キャラの色彩が滲み出ていると感じるのは小生だけ?



宇宙戦艦ヤマトというものは大変デリケートなもので、変えてはいけないところを誤って手をつけてしまうと、その途端にヤマトではなくなってしまいますわい。そして、主だった登場キャラクターも彼らの基本的な人間性も実は変えてはいけないところに相当するのじゃなかろうかと藤堂おじさんは思うし、出渕監督以下、ヤマト2199のスタッフもみなそう思っているのでなかろうかと。
旧作をリスペクトしている出渕監督が、沖田艦長やデスラー総統や古代進、森雪たちの基本的な性格に絶対手をつけるはずがないし。
それは結局のところ、著作権問題がどうであれ、旧作が作られる過程で松本零士が作り上げた宇宙戦艦ヤマトの面々を大きく変更することはせず(というより、変更できない、変更してはいけない)、それをおおむねそのまま継承するということに他なりますまい。


というわけで、旧作キャラクターの絵柄が大好きだっ小生、藤堂おじさんはやはりヤマト2199の絵柄も正直、思ったよりも抵抗なく好きになれましたぞ。
タッチが異なっていようが、書いたのが誰であれ、宇宙戦艦ヤマトが好きで好きでたまらない人がデザインしたものであれば、それを鑑賞するヤマトファンもまたおおむね受け入れるんじゃなかろうかと思うんです。実際、38年の時間を越えて通じるものを個人的には感じるのも事実ですからのう。

そう思うと、出渕監督が言ってた、“最大公約数”的な完成度というのにも頷ける藤堂おじさんではあります。


宇宙戦艦ヤマトの魅力、追伸 ~その絵柄のごときデリケートさ~宇宙戦艦ヤマトの魅力、追伸 ~その絵柄のごときデリケートさ~
↑古代進と森雪のツーショット。左が旧作ヤマトのもので右がヤマト2199のもの

(追伸)
あくまで小耳に挟んだ未確認情報ですが、ヤマト著作権裁判で対立関係にあった西崎総監督と松本零士氏ではありますが、西崎総監督も松本キャラの良さは認め、宇宙戦艦ヤマトには不可欠なものだと実は思っていたので、松本さんとの対立以降、あの絵柄を使うことができないことを内心惜しんでいたというお話を聞いたことがあります(間違いであれば申し訳ない)。
藤堂おじさん個人的に思うのですが、西崎総監督と松本零士先生、どちらが欠けても“宇宙戦艦ヤマト”という20世紀後半のアニメ金字塔は生まれなかっただろうし、そうなると今回のヤマト2199も旧作シリーズの延長上にある宇宙戦艦ヤマト復活編シリーズ(?)も生まれなかったのでしょうな。
それから、旧作ヤマトの世界を、魂を揺さぶるような楽曲で彩ってくれた宮川泰さんが欠けても、宇宙戦艦ヤマトはあれだけのヒットにはならなかったかもしれませぬし、音響や効果音がもし別のものだったとしてもヒットにはならなかったかもしれませぬな。



Posted by まほろば旅日記編集部 at 04:00