2011年02月10日

実写版ヤマトが証明したもの

実写版ヤマトが証明したもの
(space battleship ヤマト公式サイト)

藤堂です。ヤマトな日記3話目は、今更ながら実写版ヤマト(space battleship ヤマト)についてです。

私は昨年末に、そして年が明けてからもう一度、合わせて2度観覧しました。

旧作アニメの宇宙戦艦ヤマト(1作目)をベースにしつつ終盤になると、「さらば宇宙戦艦ヤマト」を組み合わせたような展開は、なかなか工夫したなと思いました。

そして、公開前から話題だった敵方のガミラスについては、実体不可分な意識統合体にしてしまうことで、いろいろと懸念されていた難点を回避したようでした。

私自身の結論をここで申し上げれば、駄作でも秀作でもない無難にまとまってくれた作品というのが正直なところです。贅沢を言えば、かつてのヤマト旧作ファンとして注文をつけたいところはいろいろあるのですが、今回の実写版ヤマトは、放映アニメに、文庫本に、PCゲームに、はたまた近年、ヤマトファンの方々が個人で立ち上げた外伝的なネット小説等へと多岐に膨張してしまっている広義のヤマトワールドの中に位置する1作品としてなら認めうるものではなかろうか。
1974年放映から始まった宇宙戦艦ヤマト1作目から、その9年後の1983年の完結編まで、いわゆる‘ヤマト世代’の心を鷲摑みにした旧作シリーズと同列に置くことはできないけれど、超名作アニメ「宇宙戦艦ヤマト」の実写化のひとつの試みだといえると思います。

格段に進歩したCG技術で復元された、ヤマトの発進シーンなどは、旧作アニメ当時を思い出して、熱くこみあげてくるものがありました。

広義のヤマトシリーズの範疇とは言った反面、あれこれと細かくみれば原作と異なった実写版独自の部分も多かったのも事実です。
 ・主人公、古代進とヒロイン、森雪の人物設定が原作と全くといっていいほど異なったこと。
 ・その他,佐渡先生や相原通信士が苗字のみ同じだけ、性別も異なり全くのオリジナルだったこと。
 ・宇宙戦艦ヤマトに搭載されている艦載機、車両なども原作とはかなり異なるオリジナルに近いものだったこと。
 ・何よりも、ヤマトの魅力の一つ、人間ドラマの部分が、原作アニメのそれと今回の実写版のそれは別物だったこと。
 ・あと、キムタクの地色が強かったこと。
ヤマト側の事柄について、大雑把なところでこれだけ思い当たります(他にもいろいろとあるでしょうが)。実写版は宇宙戦艦ヤマトをモチーフにしながらも、単に宇宙戦艦ヤマトそのものを実写化したものではなく、やはり旧作アニメ等とは一線を画した作品として解釈すべきなのかもしれません。

あるいは、原作の宇宙戦艦ヤマトを知らない人にとっては、今回のは米国映画「インディペンデンスデイ」とか「スタートレック」などスペース物の日本版のようなものとして単純に受け止めることができたかもしれません。

いまひとつ、実写版についてもっと重要な部分があると思います。

それは、主人公たるキムタク率いるヤマトクルーではなく、敵方のガミラスのことです。

旧作アニメのヤマトをよく知る人は、今回、実写版のガミラスを見て唖然としたはず。そして、旧作アニメを知らない人は、「ああ、ガミラスって怪物エイリアンなんだ」と大いなる誤解をしたかも知れませんな。

とかく、ヤマト側の相違点など可愛く思えるくらい、ガミラスの設定は原作アニメとは大きくかけ離れたものになってしまっていました。もちろん、実写版をするにあたって、顔が青色のガミラス人をどう演出するか等いろいろと問題があって、今回こういうことにならざるを得なかったのでしょうが。

実写版ヤマトが証明したもの
(ガミラスの国家元首、デスラー総統(中央)とガミラスの幹部将官(左右))

旧作アニメの宇宙戦艦ヤマトでは、ガミラスもガミラス人といって、皮膚の色は青色であるものの、それ以外の見かけは地球人と全く同じ人間。アニメを見る限り間もなく滅びゆくガミラス星に居住する異星人で、ガミラス本星とその周辺の植民地惑星を支配する星間国家「ガミラス帝国」を形成していたという設定でした。

実写版ヤマトが証明したもの実写版ヤマトが証明したもの
(自爆覚悟で第3艦橋に取り付くドメル将軍の艦艇と波動砲を封じたドリルミサイル。実写版で参考にされた場面はガミラスの猛将ドメルとの決戦から)

ガミラス帝国は、デスラー総統の指導の下、民族の生存をかけて地球に侵略の手を伸ばし、遊星爆弾で地球の環境改造を図り、新たな本拠地(おそらくガミラス帝国の新首都星ということだろう)にしようとします。そして、2199年に地球最後にして最強の宇宙戦艦、ヤマトがイスカンダル星に向けて放射能除去装置(コスモクリーナー)授受、及び対ガミラス戦役のために旅立つという大前提は実写版とほぼ同様ですが、やや戦闘民族のキライがあるものの地球人と類似の価値観を持つガミラス人との多くの戦いの中でも共感し得る人間模様がいろいろ紡がれました。

実写版ヤマトが証明したもの
(「沖田艦長、あなたのような勇士に出会えて光栄に思っている」ガミラスの猛将ドメルはヤマトとの激戦の末、そう言い残して自爆した)

あと、イスカンダルの設定も実写版と旧作アニメでは全く異なります。実写版では、ガミラス意識統合体の中の地球侵略に反対する側面の便宜上の名称ということになっていますが、原作では、ガミラス星の隣にある(二連星の)イスカンダル星という独立した惑星国家。そして、地球に放射能除去装置の提供を呼びかけたのがイスカンダル星の女王スターシアということになっており、ガミラス本星での最終決戦に勝利したヤマトは晴れてイスカンダル星に到着。艦長代理の古代進たちはスターシアと対面し、約束の放射能除去装置(コスモクリーナー)を受け取って地球へと急ぎ帰還します。

実写版ヤマトが証明したもの実写版ヤマトが証明したもの
(イスカンダル星の女王スターシア。右は、コスモクリーナー納品完了しヤマト出発間際に沖田艦長と挨拶を交わしている場面)

・・・長々と説明しましたが、実写版ヤマトの場合は、ガミラスとイスカンダルを非人間としてシャットアウトしたために宇宙戦艦ヤマトのもうひとつの魅力である敵方(異星人方)での人間ドラマあるいは敵とヤマトの絡みの中でも生まれた人間ドラマが丸ごと欠損してしまっているということです。

なぜ、実写版ではガミラスやスターシアを原作通りに人間として演出できなかったのか?

それは、既に書いた通り、俳優を使うとして青い顔のガミラス人をどう演出するか、とか、常人離れした神秘的な雰囲気を醸し出す女王スターシアを演じうる女優が見つけられるか・・・おそらく、大変微妙な問題で、ひとつ間違えれば大失敗になりかねなかったのだろうと思います。前評判で「デスラー総統がブルーマンみたいになったら許さない」という声もあったそうで、クリアできそうでクリアできない非常に難しいハードルだったのかもしれません。

そして、結局、実写版でのガミラスとイスカンダルはああいう演出にならざるを得なかった

それは、ヤマトの実写化に関して重要なことを意味していると思います。

宇宙戦艦実写版ヤマトが証明したものを原作に忠実に実写化するのは無理だったということ!!

ついに、というか、とうとう2010年、実写化された、否、実写化の試みがされたけれど、今回完成した実写映画「space battleship ヤマト」は、名作アニメの金字塔「宇宙戦艦ヤマト」を実写化するのは不可能であるということを皮肉にも実証してしまった証拠作品とも言えるのではなかろうか。

いや、つい強く書いてしまった。誤解ないよう言っておくが、私は実写版ヤマトを否定しているわけではなく、前に書いたようにスペース物としてはまとまった作品だと思っているし、広義でのヤマトワールドの中に位置づけるに値するものだと、成否はともかく実写の試みをしたことは有意義だったと思っています。

“この実写映画「space battleship ヤマト」を観覧して、原作アニメを知らない若い世代が、オリジナルの宇宙戦艦ヤマトに興味を持ってくれるきっかけになれば良い”と実写版ヤマトのパンフレットにも書かれていたが、私もそう思う。

あと、昨年のアニメ映画「宇宙戦艦ヤマト復活編」、そして実写映画「space battleship ヤマト」と2年続きでヤマトがリバイバルされ、出来たら、過去の旧作アニメが現在のCG画像技術などでリメイクされた新作アニメなどが出来るといいな(もちろん原作のストーリー趣旨は汚さないように)と思う藤堂おじさんです(笑)

(藤堂判九郎)


実写版ヤマトが証明したもの
地球の諸君、われわれガミラス人だって、時には物思いに浸り風情を愛する人間なのだよ  ~デスラー総統~


Posted by まほろば旅日記編集部 at 01:45