暑中お見舞い申し上げます(ヤマト2199編)
ぃや~、松本盆地は今年もむしむし蒸し暑い、かと思ったら半袖じゃといささか肌寒うござる。
晴れたり、雲ったり、気温が急降下したり、急上昇したり・・
はたまた、ゲリラ豪雨がやってきたりと、めまぐるしゅう天気の変わる夏本番ぞな、もし。
ヤマトファンのお歴々、お元気にヤマトのことを思い過ごしてござろうや!?
暑中見舞いのイラストに見えまするは、島大吾・大介父子の後ろ姿にござる。ヤマト2199の第4話を熟知のお歴々にはご存知のはずのカットにござるな。
岬に立って青い海と空を眺める島父子。この風景は雲の形から察するに、沖縄本島の西海岸あたりのイメージじゃな(と藤堂おじさん、勝手に想像ござる)。
そして、この場所の候補は、那覇市内か読谷村あたりか、恩納村、はたまた本部のどこかの海辺?恩納村の万座ビーチにしてはちょっと小さすぎる、そこはおじさんの独断と偏見交じりで、島父子が航宙艦を眺めているのは、読谷村の残波岬ということで。
”宇宙港出じて 残波近ゆりば 航跡立ちゅさ 御真人(うまんちゅ)するて”
昔、船の座礁が頻発し海の難所じゃった残波の海。
大獅子と断崖絶壁の灯台が有名な残波岬じゃが、この絵がごとき、こんもりとした緑のへさきもござるのでな。
22世紀末の沖縄58号線沿いの海岸は、国連宇宙軍日本艦隊の航宙艦が行きかう風景が、当たり前がごとく見られるのかのぅ。
はてさて、残波岬にたたずむ島父子のイラストを眺めておると、かようなる会話が漏れ聞こえてきそうじゃわい。
大介 「お父さん、宇宙軍のフネだよ、あんなに低いところを飛んでいるなんて、富士宇宙港から来たのじゃないよね。どこから飛び立ってるの?」
大吾 「ああ、あれは嘉手納の宇宙港から出たものだろう」
大介 「嘉手納? 大昔、アメリカの基地があったというところ?」
大吾 「よく知っているな。そう、250年前に日本とアメリカが大きな戦争をしたことは学校で習ったか?」
大介 「うん、それで日本が負けて、沖縄にアメリカの基地がたくさんできて・・」
大吾 「その基地も、21世紀はじめの沖縄の人々、つまりわしやお前のご先祖様たちが、“すべての沖縄を県民の手に” “安心して暮らせる沖縄を子や孫に”と何年も何年も希望を持ち続けて、すごく頑張って・・2030年までには全部のアメリカ基地がついに沖縄からなくさせたんだ・・・・多くの土地がやっと80年ぶりにご先祖様たちの手元に帰ってきた。」
大吾 「そして、当時、膨張しすぎていた那覇の空港から、今の国連宇宙軍日本艦隊の前身だった自衛隊の基地だけを、かつてアメリカ基地があった嘉手納に移転させた・・しかし、軍事基地ではなく地元人隊員が主体の地域平和基地として。100年ほど前、ようやく人類の宇宙空間進出が本格化した時に、国連宇宙軍日本艦隊の救難宇宙港として、もっぱら人命救助と地球外への物資補給を目的とした平和基地に生まれ変わり、今に至るのだよ」
大介 「じゃあ、あのフネも救助に行くの?」
大吾 「そうだ。火星軌道上で遭難した宇宙船団の救助に向かう艦隊だろうな・・」
大吾「いいか、大介。父さんたちは何があっても仲間を見捨てたりはしない・・それが、船乗りだ」
本当の船乗りなんだ
・・・・
大介 (ご先祖様は立派な人たちだったんだ・・そして、お父さんも)
大介 (ぼくも、そんな船乗りになりたい!)
ジ~~ン・・
・・おっと、いかぬいかぬ、いけませぬわい
暑中見舞いのあいさつのつもりが、大きく脱線してしまったる仕儀、失礼いたした
宇宙戦艦ヤマト大好き、ヤマトファンのお歴々には、めまぐるしく変わる気候に翻弄されてお体の調子を崩さぬよう、くれぐれもご自愛くだされぃ。
そして、8月24日からの、いよいよヤマト2199最終章の先行上映には、それぞれ各地の映画館に、元気な足取りで・・
2199 最終便
への乗艦を果たしましょうぞ!
スタミナたっぷり、アステロイ丼で夏バテも解消にござるぞょ~